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野戦機甲廠編制に関する意見s1504陸軍戦車学校

ID・PASSを忘れたり、画像の調達に手間取ったりして、upするのに年を越してしまったが、なんとかここまでできた。
短時間ではあったが、博物館の館長、顧問、学芸員さんの力も借りここまで楷書化しましたが、まだ読み切れない字が残ってます。
時期はもう5年位経っちゃったかな?
こういうのは経験を積めばできるっていうのと、経験を積み続けないとすぐ勘が無くなるってのを実感しましたよ。

裏紙を使ってるのはご愛敬。
C14010847600_1468.jpg
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昭和15年度までの生産数

あと2年待てば防研サイトで閲覧できるが、戦士叢書33の陸軍軍需動員<2>の附表第三その二
IMG_0448.jpg
元資料はアジ歴で閲覧できる。補給関係は附表第三その一の元資料。補給関係に昭和15年度累計がある。
       附表      補給関係
10月 C12121720900 C12121720400
11月 C12121725000 C12121721800
12月 C12121723900 C12121723400
16年1月 C12121766100 C12121765600
2月 C12121767700 C12121767000
3月 C12121769100 C12121768600

これを改めて表に落とすとこうなる。月別にしてみたが見づらい。
201806110002M.jpg

これを年度別にする。
201806110002a.jpg

戦爆調査団報告書で合わせるとこう。
201806110000a1.jpg

グランドパワーの1996年11月号(No30)がけっこう詳しいが、元がなんだか未調査。
九七式軽装甲車は「1939年(昭和14)年から生産が開始され、同年217輌(274輌とも)」の記述。
201806110001a1.jpg




中央軍事行政兵器-409、410

409は昭和16年度発来翰綴(制式重砲)、410は昭和17年度同(制式軽砲)

両方とも大冊で一日で調べるのは無理そう。

409の78は「共通砲架製作に対する研究事項送付の件」(大阪造兵廠第一製造所 昭和16年1月29日)というもので、手間は変わらず、費用はより掛かる、という内容だった。

410は3部か4部の合冊で、1-50に「試製一式十糎自走砲外一点に関する件照会」というのがあった。

研砲第二〇一号
試製一式十糎自走砲外一点に関する件照会
第一製造所 御中
 昭和17年4月13日  第一研究所第三科
九一式十糎榴弾砲
 貴所より4月10日送付の揺架体素材図面中断面の上方凹部詳細寸法通知相なりたし

今転記するので気付いたが、九一式十糎榴弾砲って書き写してある。

両者ともA03032124600「試製兵器現況調」と見比べるといいかも、と思いつつ日は経ち今に至る。

さる筋の同行で上京した(子守とも言う)ので寄ってきたが、夏の期間中体調が悪く、3時間の滞在もできず消化不良に終わった久々の防研だった。

中央軍事行政兵器-412

一式七糎半竝に十糎自走砲属品表竝細目名称表 陸軍技術本部

目次
          名称                      調整年月日   摘要
1 試製一式7糎半自走砲属品表             昭和16年11月  〇ア号用
2 一式七糎半自走砲属品表                昭和17年6月  〇整用
3 一式十糎自走砲属品表                 同7月       同
4 試製一式十糎自走砲同〇新属品表          昭和18年3月  同
5 試製一式七糎半自走砲同〇新属品表        同4月       同
6 試製一式七糎半自走砲(砲)
     一式7糎半自走砲〇新(砲) 仮細目名称表 昭和18年11月
7 試製一式十糎自走砲(砲)
     一式十糎自走砲〇新(砲) 仮細目名称表  昭和18年12月

1には赤鉛筆で修正が加えられており、修正箇所は2との間に「昭和17年7月4日修正 一式七糎半自走砲属品表中修正表」としてまとめられている。

2の本文は2-2に書き直されていて、「[至急]6月9日午前中」の記載があった。

3も3-1、3-2等に分かれており、タイプライターの清書と手書きの各一部となっている。

5は中央軍隊教育典範戦車砲-164 「試製一式七糎半自走砲及試製一式七糎半(新)附品表 昭和18年4月」と同一と思われる。(比較はしていない)

4もおおむねそれと同様。

6,7に〇新の変更箇所が記載されているが、部品のリストであり、どこが違うかは分かるが、どのように変わったかまでは分からない。
基本的に属品箱(大)、器具箱を2門一組にまとめたというのが大きいところ。
小隊の編成が変わった可能性がある。

メモはとったものの、このような表は正確に書き写すか複写してじっくり吟味しないと真価は分からない。
自分で撮影できたのだが、疲労困憊であきらめた。

ナンバリングも打たれてないし、マイクロ化はきっとかなり先だろう。

防研図書館行きたい。。。。。。

12/31のコミケで発売されたj-tank18号。早く入手したいものだ。
その中で、「戦争末期の戦車生産計画について(その1)昭和19年度の装軌車整備計画」
に注目している。
これについては、古くは「帝国陸軍機甲部隊」(加登川幸太郎著 原書房1981年8月刊)で紹介された、
昭和19年の軍需動員計画上の整備計画数
軽戦車 0
中戦車 0
水陸両用戦車 0
砲戦車 0
チト車 5
チリ車 5
ホリ車 5
装甲兵車 400
「要するに軍需動員的に見る限り、日本機甲部隊のこのあたりで"生涯"を終わっていた。」
という記述や、これを裏付ける戦史叢書「陸軍軍需動員<2>実施編」(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社1970年1月刊)の付表がある。

しかし実際には一式中戦車や三式中・砲戦車、特二式戦車や自走砲類が生産されていてよく判らなかった。
これは昭和19年度軍需動員の整備計画が昭和18年度中に策定されており、生産の遅延による繰り越しや戦況の変化により変更されている経過が纏められていなかったためだ。

ここらへんは24年度にアジア歴史資料センターで公開された、防衛研究所所蔵資料の軍需動員により経過の概要は掴めた。
ただ軍需動員だけでは実際の結果はまだよく判らない。

公開されていない中央軍事行政兵器などの資料が満載されていることを期待してしまう。



ところで、アジア歴史資料センターで公開され安心していた軍需動員だが、今日よく見直したら349しか公開されていなかった。それも、697あるうちの560までしか無く、まだ防研図書館行かなきゃ見られない史料が山ほど。。

それと多分来年度公開されるだろう文庫-柚にも、敗戦処理の歴史的に重要な史料に交じって機甲関係の書類が散見される。全部公開されればよいのだが。。。

続・山下軍事視察団報告資料 技術(2)

ジェノバ「アンサルド」工場視察記事 (イタリア到着は昭和16年5月18日)
(中略)規模より推定するに一四瓲戦車月製約100台程度なり。
二.戦車工場
1.製品
(1)四〇式戦車
 重量 14瓲
 速度 37km
(2)砲戦車
 全重量 約13瓲(車体は13瓲戦車と同じ)
 速度  37km
 武装  18口径75粍砲(砲身は三四式山砲のものに同じ 重量172瓩)
  砲身は内管交換式にして且つ被筒に収めらる
  高低方向は前面装甲板に装着せられたる球面砲架に依る
   高低射界 正20度 負12度
   方向射界 左右15度
  後座長 350mm
 鋼板厚
  砲塔及び前面 約25粍二板張り
  側方  約25粍(推定)
  其の他 約10粍
 本砲戦車は試製中のものと称し、約10台の完成品を見受けたり
 尚、球面砲架と鋼板の間には間隙多く、又、前面二板張り鋼板の密着不良なり

三.火砲工場
2.製品
(1)9糎高射砲約40門完成せるを見たり
(2)砲戦車(独軍の突撃砲)用7糎半火砲十数門の完成せるを見たり
(3)車載9糎高射砲(自走式)
 (中略)全重量を7瓲、自重4瓲と称するも、全重量は約10瓲と見たり

-----------------

砲戦車とは、当然セモベンテM40のことで、ものの本によるとプロトタイプが完成し軍に引き渡されたのがこの年の2月10日、そして60両が正式に発注されたということで、そのうちの最初の10両だったのではないでしょうか?
それにしても、イタリア軍でも「ドイツ突撃砲の真似」として開発し、セモベンテ(自走砲)という名称なのに、なぜ「砲戦車」とされたのでしょうか?(しかも、後に装備部隊は「突撃砲グループ」だとか。。。)


・・・山下視察団の記事はひとまずこれで終わりにします。

続・山下軍事視察団報告資料 技術

其の二
「ダイムラーベンツ」工場視察記事
「マリエンドルフ」「ベルリン」工場 P43~ 
3号戦車関係
車体装甲板は前後とも約50mmで、後面を前面と同一厚とせるは注意すべし
工場内にて作業しあらざるものの中には未だ50mm以下のものもあり

その他の参考事項
重役の言に依れば一車の完成一般的に約3カ月、急げば1カ月と云う

手持ち本等で確認できると高をくくり、うかつな事にこの時の日時を写してこなかったのですが、前述の「帝国陸軍機甲部隊(加登川幸太郎・原書房)」、「日本戦車開発物語(土門周平・光人社NF文庫)」ともに載ってませんでした。
確か5月上旬のことだったと思います。
この時(昭和16年(1941年)5月)、3号戦車のラインは3月から記述通り50mm装甲のJ型に切り替わっております。
で、以前のH型は4月まで生産されたということになっていますが、このときにもまだ工場にあったということですね。
「作業しあらざる」という文意が今一つわからないのですが、完成したから作業してないのか、作業が中止され放置されているのか判断しかねます。

それと重役の話ですが、この工場では3号のほか重牽引車(ハーフトラック)を製造しており、どちらの事を言ってるのか判断がつきかねるのですが、文脈からすると3号戦車のことと思われます。

続く

山下軍事視察団報告資料 技術

71ページ目
「マグデブルグ」兵器廠視察
二 装甲車両兵器廠
(二)完成車両倉庫
見学したる戦車装甲車の種類概ね左の如し
I號戦車、II號戦車、III號戦車、IV號戦車、指揮戦車、突撃砲
兵車、スコダ戦車、ダネーク(チェッコ)戦車、軽装甲車、重
装甲車、佛軍製押収戦車

 スコダ戦車、ダネーク(チェッコ)戦車というのが目を引きます。
 スコダ=35(t)、ダネーク=38(t)。
 ダネークはCKD社のD


122ページ目
四 戦車工務兵に対する教育計書
IV教育の目的
戦車I、II、III、IV及び三八(屯)に就いての技術的理論的教育
之等戦車の取扱法、工場及び第一線に於いて要求される程度の
修理、救援作業、手入

 >三八(屯)
 繰り返し書かれているので誤植等ではありません。
 この書類の約30年後(1971年以降)、38(t)を「38トン」て読んでた人は多数と思います。
 これが誤りでなかった事がここに証明されていました。当時の第一人者がそう言っていたのですから、後世の人達が自然にそう呼ぶ事は、犬がワンと鳴き、太陽が東から昇り西に沈むことと同じくらい当たり前のことなのでしょう。

続く
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重平

Author:重平
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ドイツ3号、4号戦車とバリエーション
冷戦時代~20世紀末

最近、敵ばかり作っているような気が。。(あっ敵戦車の模型って事ですよ?)

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